2022年大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の主人公は北条義時です。北条義時役は小栗旬さんです。
北条義時は北条時政の次男として1163年に静岡県伊豆の国市で生まれました。
少年、青年期まで「江間小四郎」と名乗っていたとされています。
義時の実姉は北条政子です。鎌倉幕府の初代将軍の源頼朝の義弟です。
義時は源頼朝の最も信頼される御家人の一人でした。
北条義時が生まれた地をたどってみました。
北条氏邸跡(円成寺跡)
下の写真は鎌倉幕府の執権として活躍した北条氏の館があった場所です。平安時代末期から鎌倉時代にかけて北条氏の本拠地だった場所です。
絵巻物を参考に静岡県立伊豆中央高校生徒によって制作された北条氏邸のイメージ図です。当時の様子がよくわかりますね。
こちらも絵巻物を参考に静岡県立伊豆中央高校生徒によって制作された円成寺(えんじょうじ)のイメージ図です。
長い間存在が明らかにされていなかった円成寺ですが発掘調査によって北条氏の館と重なって建てられていたことがわかりました。
1333年、鎌倉幕府が滅亡後、北条一族の女性たちは鎌倉から韮山に戻り、一族の中の円成尼(えんじょうに)という女性が中心になって邸宅の跡に寺院を建て北条氏の冥福を祈ったのが円成寺です。円成寺は室町時代にも尼寺として続き上杉氏の一族の女性が尼として入っていたことがわかっています。
北条義時館跡
北条義時館は現在の江間公園にあったという記述があります。公園の一角に「北条義時(江間小四郎)屋敷跡」の石碑が残っています。
北條寺(ほうじょうじ)
北条義時夫妻のお墓がある北條寺です。
義時の長男安千代が11歳の時、大蛇に襲われ命を失ったために義時が建立した寺院だという言い伝えがあります。
1224年6月13日(旧暦)、鎌倉にて急死してしまった義時。義時の子泰時らにより北条氏発祥の地であるこのお寺にお墓が建てられました。向かって右が義時、左が後妻佐伯氏娘のお墓です。
北条義時の生涯
1163年 義時、伊豆国誕生
1180年 源頼朝の挙兵に従い山本兼隆を攻め落とす
1180年 石橋山の合戦、兄宗時が戦死
1180年 相模国大磯川にて頼朝から褒美をもらう
1181年 頼朝の寝所近辺祇候衆となる
1182年 父時政の伊豆下向に従わず頼朝に褒められる
1183年 泰時誕生
1184年 源範頼に従軍し西国へ向かう
1185年 壇ノ浦の戦い。平家滅亡
1189年 奥州征めに従軍
1190年 頼朝の上洛に随行
1192年 頼朝のさまざまな行事に随行
1195年 頼朝の東大寺再建供養の上洛に随行
1199年 初代将軍頼朝死去、十三人の合議制となり義時も加わる
1203年 比企氏の乱。時政初代執権になる
1204年 二代目将軍頼家修禅寺にて死去
1205年 牧氏の変、時政失脚。義時二代執権になる
1213年 和田合戦に勝利、侍所別当になる
1219年 三代目将軍実朝、鶴岡八幡宮にて暗殺
1219年 時期将軍や領地問題で後鳥羽上皇と揉める
1221年 後鳥羽上皇、義時追討の宣言を出す
1221年 承久の乱勃発
1221年 鎮圧度、後鳥羽上皇を隠岐に配流
1223年 右京権大夫を辞任
1224年 義時死去
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